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VMDインストラクター 奥寺 優美子さんを取材しました2014年12月

日本、台湾、香港  アジアで働く

VMDインストラクター 奥寺 優美子さん

奥寺 優美子さん

VMDインストラクター

アジアという生き方

 朝日新聞朝刊の「アジアという生き方」というコラムが10月から始まっていて、時々読んでいる。アジアで起業したり、現地採用されたり、海外支店を任されたり、と異国の地でがんばっている人にスポットを当てたコラムだ。個人の生き方に焦点を当てている。

 例えば、日本のOLがおいしいパンをつくろうと、カンボジアに渡り、苦労しながらパン屋を成功させていく。ほとんど儲からないが、生活がとても楽しいという。

 私は経営者の感覚からか、アジアというと、生産の海外拠点とか、海外チェーンの開発とか、安い労働力の確保とか、ビジネス寄りのことしか考えられなかった。なので、この手の苦労話はおもしろいが、それがその人の生きがいだということは共感できなかった。どうしてわざわざ日本を出てまで苦労するの?という感じだ。

 ところが、奥寺優美子さんに会ってお話を伺うと、「アジアという生き方」がなんだかわかるような気がした。それに惹かれている人が自分の身近にいることを知った。それをこれから詳しく話そう。

ニッポンの会社人としてスタート

 奥寺さんは日本の有名企業、S社の会社員だった。海外セレブや有名モデルを使った華やかな宣伝と出店攻勢で、押しも押されぬ日本のバッグブランドになった会社だ。

 今は上場企業の同社も、入社当時百貨店の平場から始まった。

 「学歴不問、実力で評価します」面接でのその言葉に挑戦することを心に決め、会社が直営店を急拡大している時代に入社し、オープニングメンバーとして入社したものの小売店のノウハウはゼロ。売場づくりや接客、顧客管理のアドバイスや研修はほとんどなく、売れなければ先輩からの圧力がかかる。とにかく売れるためには自分で考えるしかなかった。

 なぜ売れないの?と上司からノートで頭をひっぱたかれないようにどうやって売上を伸ばしたらいいか、ひたすら考え、日々研鑽を続けた。

 毎日のフロアのバックコーナーを回り閉店してから倉庫で商品のスケッチをしたり、誰も居ない百貨店の売り場で商品の魅力を研究していた。人一倍責任感と好奇心が強い彼女は、売り場づくりにも興味を持った。

 それがVMDとの出会いだった。VMDとは売場づくりのノウハウで、外資系のバッグブランドはどこもそれを採用している。しかし、社内にそれに長けている人も勉強するシステムもなかった。

 ならば自分でノウハウを積もうと、自店の近くにある外資系の直営店を定点観測。ルイヴィトンやグッチ、プラダ、エルメスやティーファニーだった。売場のディスプレイを常時観察し、気がついたことはとにかくメモした。刻々と変わるウインドウや店内陳列を見ると、疑問がわいた。

「どうして、この色のバッグをまとめて置くんだろう」「斜めに置いているものと、横に置いているものがあるけれど、どうしてなんだろう」

 お客になりながら展示している商品に関して店員にどんどん質問をぶつけた。すると、上記の疑問点に関しは、答えが次のように返ってきた。

「いまパリフェアだから、フランス国旗の3色をメインに置いているんです」「丸いカタチが特徴なので、斜めにも横にも置いているんです。どちらから見ても丸く見えるように」

 メモ帳はみるみるページを重ねていった。メモを整理して、自店の販売スタッフに、ことあるごとに気づきを披露した。新人スタッフが赴任すれば、トコトン陳列や展示方法を教えた。

「でも、課長になって自店舗以外のたくさんの店の面倒を見なくてはいけなくなったため、より多くのスタッフが理解するように教える方法が必要で、感覚だけで教えるのではなく更に新しいインプットが必要だと感じていました。」

 他店のVMDを自ら実践し店長に教えていたが、店長が自店舗のスタッフに共有や教育するために各店に言葉で残さなくてはならなくなった。その時、ネットで探した「売場塾」でVMDを習うことを決意したという。ディスプレイだけでなく、分類やゾーニングの考え方など得られたものは多く、売場づくりを的確に人に伝えることができるようになった。

当時を振り返る奥寺さん「毎週のように新作が入るのですが、空いた棚に自身の感覚で置くだけのお店が少なくありませんでした。戦略的な演出がまったくできていなかったのです。お客様にわかりやすく商品群を分類して、それを売場に配置する…という考えもありませんでした。そんな中、VMDを理論的に学習して、お客様にわかりやすい売場づくりや商品の整理整頓の方法を、全国のスタッフに教えることができたのは大きな成果でした」

 販売課の教育担当になって、現場から完全に離れたころ、全国200店余りのすべての店舗を回って、全店の店長にVMDを教えた。時には宿泊したホテルのロビーで、時には店舗近くの喫茶店で、自分の作ったVMDマニュアルをスタッフに見せながら、弁をとった。

 中には、一日中かけて、什器を移動し商品を入れ替えた店舗もあった。3か月間、全国行脚にどっぷりつかり、自宅にほとんど帰らなかった。

台湾で生きてみる

 会社は事業を拡大させ、海外支店も築くようになった。経験豊富な幹部社員として、台湾の新店立ち上げにも参画するようになった。

 これまで海外はハワイやバリなどのリゾート地にしか行ったことがなく、そのときにはじめてアジアの熱気を肌で感じた。

 台北市は成長しようという勢いにつつまれた街だった。それなのに人々は穏やかで、好意的。なんだか、自分の故郷のような気がした。

飲茶料理店で働いたことも 「桃園空港に降り立った時、ここが私の居場所だと感じました」 飲茶料理店で働いたことも  考えるより行動に移すのが早い彼女は、会社を辞めて台湾に行くことに決めた。

 「私は早くしてチャンスに恵まれ、役職を任せていただきましたが、私を信じてついてきた後輩店長への世代交代も考えていました」 目的も何も定まっていなかったのだが、行けば何かある・・・と考えのだ。

 しかし、台湾はあくまで外国。言葉がわからないのであれば、まともに働ける場所が見つからなかった。アパレルショップの販売職に応募するも 「言葉がわからなくて服が売れるのか」と店主に喝破され、あえなく撃沈された。上場企業の店長として売上トップの座にいた経験は、異国では全く役に立たないことを知った。悔しくて涙が出た。

日本は会社対会社、アジアは個人対個人

 その後、極貧生活をしのぎながらも生活の中でいろいろな知りあいが増えていき、ある時は売り場のVMDを手伝うようになった。

 台湾に渡ってから1年半が経過していたころ、辞めた会社から再度声をかけてもらい、香港の子会社のMDとトレーナーを経験した。

 アジア暮らしの約3年間で得られたものはビジネスに対する考え方だった。

 「日本にいたころは、会社に尽くすことが自分のためになると思ってやってきました。私を育ててくれた経営者に、仕事で恩返しをすることがやりがいだと思っていました。でも、あるとき、香港のスタッフと仕事について話していたとき、こんなことを聞きました。「今の会社を辞めてからもほかで活躍する人間でいたい。そして経営者はその社員の活躍を見守るものだ。なぜならば、それが有能な経営者と社員だからだ」これを聞いてパッと目の前が開けました」

台北店のスタッフと共に ※写真右 アジアで働く人々は、企業の中の繋がりというよりも、個人の繋がりを重視するという。日本人の場合は、企業対企業としての繋がりが強く、その中の個人の関係は、どちらかが会社を辞めると終わってしまう。しかしアジアはそうではない。日本のように終身雇用という考えはなく転職社会だという背景も関係している。なので、会社でなく、個人を尊重している社会。

 自分を会社にはめることは考えなくていい。会社を辞めても、ここでは個人と個人の関係は続くのだ。本当の実力主義というものを教わった。

 

お金よりやりたいこと

 香港オフィスに渡り、新オフィスの運営と新店舗の立ち上げに従事するひとになった。いきなり一人で駐在し、入社した社員がどんどんが辞めたりして窮地に陥ったが、それでもなんとか店舗を軌道に乗せた。おかげで経営感覚も多分に身についた。今は会社を辞めて日本に帰り、次の準備に備えている。

日本の帰国前、香港のスタッフから激励の色紙が届いた 「ゼロから何かを生み出すことを何度とやってきましたが、香港がその集大成でした。(笑)今後は、会社のために何かをやるのではなく、今まで培った経験をいろいろな仕事に生かしていきたい。何でも屋でもいいと思っています」

 今まで、いろんなことに興味を持ってチャレンジしてきた。セラピー、マッサージ、占い、ローフード、水のソムリエ、そしてVMD。これら学んだことが自然発生的に自分の役に立つことを確信しているという。これらは一見何の関連性もないように見えるが、彼女の中では、等しく将来への流れの中にあるらしい。

 「お金を稼いで好きなブランドの服を着る、そんな暮らしはまったく思い描いていません。それよりも、自分が興味あることをして生きていることが最高に幸せな人生だと思っています」

 化粧品ブランドのVMD職、カフェの店長、ディスプレイ教室の講師など、いろいろなオファーが来ている。だが、やりたいこともあるし、今はじっくり方向性を考え中だという。声には出していないが、近い将来、再びアジア社会の中に戻ることを考えているようだ。下記の言葉がそれを物語っている。

 「日本人はアジアの人との間に壁をつくっています。意識の上で、後進国に負けたくない、とか、ビジネス優位に立ちたいとか。アジアの国は、日本以上に個人対個人のつながりが深く、相手を人間的に尊敬しています。だから、会社から離れても、個人として付き合えるんです」

香港店舗のスタッフと ※左から3 番目  欧米の個人主義とは違い、個人が個人を支え合う・・・こんな社会ということだろう。振り返って日本はどうなのかというと、会社を辞めることは背信行為であるという感覚がまだまだあるという理屈になっている。日本以外の人たちから見ると、まるで理解できないことだろう。

 一度、日本のサラリーマンは、アジアの国々で生活してみるといい。そうすれば、もっと島国ニッポンの人間関係もオープンになるに違いない。彼女を取材してみて、そう感じた次第である。

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