本文へスキップ

VMDインストラクター協会は、お客様にとって快い売場環境を提供する売場づくりの資格団体です。

電話でのお問い合わせはTEL.03-3882-9940

〒104-0061 東京都中央区銀座7-13-20 銀座THビル9F

VMDインストラクター 梅木 嘉代さんを取材しました2010年4月

VMDは自分自身の表現のひとつです

VMDインストラクター 梅木 嘉代さん

梅木 嘉代さん

ケーズブレーン

VMDインストラクター

 女性に対して、「人脈」という言葉は似合わないと思った。人脈で仕事を取る。人脈で就職する。人脈で結婚する・・・なんだかしっくりこない。 「人脈」とは男性用語だと思う。フランス語なら、冠詞にleがつくだろう。仲間、巡り合い、ネットワーク・・・こんな言葉の方が女性に合っているのではないだろうか。梅木嘉代さんと話をしてつくづく思った。

  今の仕事は、その「巡り合い」から始まった。 「こういう仕事をスタートしています」と、インタビューの冒頭私に出した名刺には、K’s Brain(ケーズブレーン) VMDインストラクター 梅木 嘉代」とある。ケーズブレーンって? 「私の友人が人材研修の会社の代表をしています。VMDインストラクターとして、その会社を手伝うことになりました。」

 

 ケーズブレーンは、マナーやコミュニケーションなどの企業研修から、ブライダルカウンセリング・話し方などの個人研修まで幅広く人材育成を手掛けている教育コンサルティング会社だ。そこにVMDカウンセリングを取り入れることを自ら提案し、研修講師を買って出たのである。

「昨今、自分を表現するスキルは色々あると思います。ファッションや、話し方、趣味のたしなみ・・・。それをサポートする資格もたくさんありますよね。カラーコーディネーターやインテリアコーディネーター・・・。VMDインストラクターもその一つだと思います。ただ、資格は取るだけでは自己表現とは言えないと思います。使うことによって初めて自分らしさが出てくるのではないかと。」

 VMDインストラクターの資格を取った今、早速それを企業研修メニューとして活用するとのことだった。売場づくりの専門家がまたひとり誕生した。

店舗視察中の梅木さん

 ケーズブレーン代表の宗定姫愛子(むねさだ ひなこ)さんに会ったのは、派遣社員として勤め始めて間もない頃だった。会社の上司が「いっしょに食事をしよう。」と、ブライダルコンサルタントの資格を取るために岡山から上京中の宗定さんと引き合わせてくれたのだ。彼女は上司の幼馴染だったのだ。彼女と話をするうちに、イベントの司会者として全国を駆け巡っている彼女は、自分の力で仕事をしていて格好いいなと思った。その時は、なんとなくそう思っただけだった。

 その頃、派遣先では、広報グループで、マスコミからの取材対応や情報開示、「社長のビデオレター」という小売店向けメッセージビデオの撮影から編集までこなした。会社と家事と子育てでますます忙しくなったが、それも生活にハリを与える元気の源と、自分に言い聞かせた。

 だがある日、主人の何気ない一言がきっかけで冷静に自分を見つめる機会があった。 「今までやってきたことで身についているものってなんだろう。」

 すると脳裏に、昔会った宗定さんの顔が浮かんできた。 「今の自分には、宗定さんのようなものは何もないな。」

 そう思ったら、自分の生活にけじめをつけたくなった。しばらく考えた後、主人に承諾を得て派遣契約を解除し、「自分に何ができるのか」リスタートすることにした。過去の自分からステップアップするために、10年後の自分を想像して、イメージチェンジすることにしたのだ。

 宗定さんに再び連絡を取ると、彼女は一段とバイタリティあふれる人間になっていた。司会者に加え、イメージコンサルタントとしての職も身に着けていた。仕草や立ち居振る舞い、カラーやファッションを取り入れることによって個性を光らせる術を、企業や個人に教える日々に奔走していた。

「イメージコンサルタントという言葉を聞いて、祖母を思い出しました。亡くなる直前までオシャレを貫いていたあの祖母を。」

 祖母は、原爆下の広島で生き残った一人だった。モノがない戦後だったが、凛とした清楚なイメージは崩さなかった人だ。洋服にお金をかけられない時代だったが、白いブラウスに黒や紺色のスカート、そこに指し色を混ぜるというコーディネートは欠かさなかった。ウエストはいつも絞っていてタイトなシルエット。いくつになっても、周りのゆるファッションの中高年女性と一線を画していた。

 80歳を過ぎて癌になった時、病院の診察室から名前を呼んだ看護婦は、祖母を見て驚いた。タイトなワンピースに5cmのハイヒールを履いた患者は、とても高齢の病人に見えなかったのである。

 今は、そんな亡き祖母を思い出して自分はファッションなんて何も知らないな・・・と気がついた。「少しは自分のイメージも高めなければと思った翌日からスカートにしました。それまで、娘を自転車で送り迎えするのに便利なパンツスタイルにしていました。」

 川崎駅近くの商業ビルにある「NEXT」に思い切って入ってみた。前から入ってみたいと思っていたお店だった。大人びてシンプルだけど、どこかちょっとかわいいデザインがポイントの服は自分のお気に入りになった。以来このお店で買うことが多くなり、スタッフとも仲良くなった。新入荷の服が出ると決まって試着に行った。

「おしゃれってこういうものなんだ」とわかってきたころ、再び前勤務先のグループ会社へ派遣社員として戻ることができた。以前よりイキイキと仕事をすることができた。そして、資格取得や趣味にも積極的になり秘書検定2級も受けた。ベリーダンスに通い始めて、もう半年経つ。

今は前向きな毎日。東京駅で

「子供に「がんばれ!」と言っている自分こそが頑張らなければ子供に何も伝わらない、と思いました。子供は中学1年生ですが、自分が楽しみながら挑戦する姿を見せて初めて「がんばれ!」という言葉に重みが増したように思います。」

 VMDとの出会いは、この雑誌からだった。3年前に同誌は、彼女が勤務していた会社の店づくりを紹介した。その時の広報担当が彼女だったのだ。VMDという聞いたこともない単語に何か引きつけられた。以後、女性客向けの売場づくりに広報担当として関わっているうちに、VMDをもっと知りたくなった。本格的に習おうとVMDの学校「売場塾」の門をたたいた。VMDインストラクターに合格した後、ついに本職として活躍する舞台をケーズブレーンに作ってしまったのである。

 そこで、冒頭の名刺の話しに行きつくのである。

「資格は取るだけではだめだと思います。生活の中や仕事の中で使わないと生きてこない。そこで、宗定さんにお願いしてVMDを法人研修のメニューに入れてもらったのです。VMDインストラクターになったばかりですが、文字通り人に教えることから始めようと思っています。」

 お店づくりで困っている人はたくさんいるはず。小売業は全国100万軒以上。困っているお店や企業は多い。だが、お店づくりの専門家は少なく、VMDインストラクターでさえ150人しかいないのだ。ケーズブレーンのクライアントは小売店もあるので、自分が役に立つチャンスはあるはず。そう考えた末の決断だった。

 ディスプレイのスケッチ。修行も怠らない

 VMDインストラクターの彼女の名刺は前述の通りだが、電話番号や住所は自宅のものだった。 「最初は自宅から始めます。ケーズブレーンの川崎営業所といったところです。ホームページにVMDのメニュー・ページも作っています。営業開拓も積極的にするつもりです。」

 昨年末、売場塾卒業生にメールをして異業種交流会を企画した。テレビ局やホテル、食器専門店のVMD担当や店舗デザイナーが彼女の呼びかけに集まってきた。当日、インフルエンザで皆とは会えなくなったけれど、今でもメールで連絡は欠かさないという。

「売場づくりって、売場をキラキラさせるだけでなく、そこで働くスタッフもお客様もキラキラさせるものだと思います。私もNEXTの商品とスタッフに輝かせていただきました。売場という空間で、お客様もスタッフも元気になっていく・・・そんな力がVMDにはあると思います。」

 売場は快場、つまり快い売場になることによって、その空間もアイテムもスタッフも光り輝くという。そこに集う人々は、光を吸収してより輝く。人と人が出会うことによって、光が反射し合い、輝く人はもっと出てくる・・・という持論があるそうだ。

「これまで出会った人は、私に刺激を与えてくれる素敵な人ばかりでした。そんな素敵な縁を大切にして、人と人が結びついて、お互いが輝くようなプラスの輪をもっともっと広げていきたいと思います。」

 そう言う、彼女のUネックの胸元には、シルバー色のビジューがまぶしく輝いていた。スターシェイプのネックレスだった。

一覧ページに戻る